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2017-10-17 (Tue) 12:09

中頓別でチーズづくり40年。移住希望者がやってくる店を続けて。高橋憲一さんに聞く

中頓別に暮らす人にインタビューをして、町の魅力を探る記事。
前回は、藤井地区の木炭づくりについて取り上げました。

その第2弾です。
道の駅ピンネシリの商品に「ルーシュ」というカマンベールチーズが販売されています。

 ルーシュ切り口
「ルーシュ」チーズ。

中頓別の小さなチーズ工房でつくられた、中頓別を代表する商品の一つです。
以前は近隣の町のスーパーや札幌のデパート等にも出荷していましたが、
現在は、チーズを愛してくれるお客さんのために、細々とですができる範囲で作り続けています。
今回のインタビューは、中頓別でチーズ作りを初めて40年。弥生地区で「高橋牧場チーズ工房」・敏音知地区で「森のキッチンHARU」を運営している高橋憲一さん(66)にお話を伺いました。

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HARUの厨房と高橋憲一さん
 
高橋さんは中頓別町の農家で生まれ、小学校までは中頓別で生活。
中学・高校は、親族の住んでいる札幌に下宿で生活し、
高校卒業後、実家の後継として中頓別に帰ってきました。
高橋さんの家では、こどものころは馬鈴薯の畑作を中心に、牛も数頭飼育していました。
高校卒業のころには馬鈴薯から、てん菜にかわり牛の数も20頭程度となっていました。

チーズ作りを始めたきっかけは、親から農場を引き継いで、生産拡大のために牛の量を倍に増やし、10年が経過。
次に何かを手掛けたいなと感じていたところに、時流は第1次チーズブーム。
チーズの生産は、日本国内でも細々と行っていましたが、チーズといえばヨーロッパが主流。
大手の乳業メーカーが商品を出していました。チーズの需要も増え始めてきた時期でした。
訓子府町でチーズづくりの研究所が立ち上がり、研修生を募集していました。
そこで興味を持った高橋さんは応募し、チーズ作りの道をスタートさせました。

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本場フランスからチーズ作りのための道具を取りそろえたほか、
ホームセンターで配管用の塩ビ管を購入し、独自に型を作った。

 酪農業の傍らで、冷蔵庫を改造して貯蔵庫を作るなど、自宅の台所を作業場として、チーズ作りを行っていた高橋さん。
 当時、中頓別にあった高校でも技術指導を行いながら、教員らと商品研究をするなどチーズ作りを追求していきます。
 チーズ作りも10年たった頃、新しい技術を取り入れようと、アメリカやフランスのチーズレシピ集を辞書で言葉を調べて、専門用語は、岡山大学の研究者が作った専門書を並べて、読み進めて行きました。この時期はチーズづくりに費やす時間も長くなってきました。
 2000年ごろに、チーズ生産工場設置における規制緩和があり、小規模なチーズ生産工場をつくることができるようになりました。その流れで、宗谷管内でも豊富町や浜頓別など3件ほど小さなチーズ生産の拠点ができました。そのうちの一つに高橋さんの工場も手を挙げました。
 翌年、チーズ作りの拠点として、雪の重みで半壊した牛舎を減築改装して、チーズ工房をつくりました。
 1階は工場、2階は高橋さんのチーズ研究等の書斎や、近隣の町からチーズ作り体験を目的にやってきた方々が休憩できるなどの多目的なスペース。窓からは、中頓別町の山並みや牧草地などが見え、中頓別町の自然を十分に楽しめる眺めとなっています。

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チーズ工房。雪の重みで半壊した牛舎の一部を改装した。
「半壊した時、牛舎の中にはまだ仔牛が数頭いたが、牛に被害はなかった。
この牛舎が半壊した出来事も、チーズ作りに絞るきっかけの一つになった。」と高橋さんは言う。

 2003年酪農をやりながらチーズ作りも行ってきましたが、牧場を引き継いだ後も作業を手伝っていた両親が高齢になったこと。当時の睡眠時間は平均2時間から3時間程度と、チーズ作りとの2足のわらじを履き続けるのが体力的に厳しくなってきたこともあり、酪農をやめてチーズ作りに絞ることにしました。
 単に「牧場で作っているチーズ」だけではどこにでもあると考えた高橋さん。余り知られていないルーシュ製法を取り入れました。ルーシュ製法とは、チーズ作りの過程で生乳が固まりだしたのを「おたま」にすくって型に入れる製法です。しかし、ルーシュ製法はフランスの品質保証規格のAOCの基準があり、つくられるチーズのレシピは門外不出。現地から取り寄せたチーズを味わいながら、ヒントをもらい作り上げていきました。丁度、そのころがピークで週2回。1回の作業でカマンベールチーズ60個分を生産していました。

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高橋さんがチーズ作りをしている作業場。
この日は21個分のチーズを作っていた。


 それから数年が経過。観光協会やそうや自然学校で、夏のカヌーの自然体験観光を行うようになると、高橋さんの農場の敷地の近くでゴールとなり、農場の牧草地でテントをはってランチをするというプログラムが行われるようになった。そこで、チーズ作り体験や、ピザづくり体験などをやるようになり、観光協会やそうや自然学校とのかかわりが増えました。

 2009年、たまたま道の駅ピンネシリの隣の店舗敷地が空いたことや周囲の人のススメ等もあり、「森のキッチンHARU」をオープン。
 道の駅には観光協会が、そうや自然学校が近くにあり立地で、せっかくの空いたスペースにコミュニティーカフェのような店をつくろうという話になり、「本来は調理なんかやる予定がなかったんだけど、将来引き継いでくれる人がいるのでそれまでのつなぎ」と始めることになりました。

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森のキッチンHARUの外観。以前はラーメン店が入居していたとのこと。

 店舗の内装作業も、道の駅のスタッフや自然学校のスタッフなどが手伝いながら行っていきました。オープン当初は通年営業をしていましたが、冬になると利用する人も少なくなるため、3年目以降、4月~10月までの営業になります。
 「夏の間、店を開いていると、バイクや車で旅をしている人がよく寄っていきます。また、この辺の環境に惚れて移住をしたいと言ってくる人もいて、伝手をつかって物件を紹介することもあります。」と高橋さん。
しかし、「本人は住まなくなったので人に渡したいと思っていても、子の世代が様々な理由で反対するケースも多く、うまくいかないこともある」と言います。

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HARUの内観。手作りのピザ窯や、以前学校で使われていた音楽室の机や椅子など、
どこか懐かしさと、暖かさが伝わってくる。改装作業をしたメンバーの伝手で調達し仕上げた。

 チーズ作りは、今後引き継ぐ人がいれば教えるつもりとのこと。しかし、昨今はチーズ作りだけでは生計は立てることはできないと高橋さん。そこには、日本とヨーロッパの牛乳に関する考え方の違いがあるとも語ってくれました。
 「ヨーロッパは加工製品を中心とした加工乳を作っているが、日本は飲用牛乳を中心に作っている。牛に与えるえさの違いなどもあり、牛乳の味は牛に食べさせている餌の内容によって味や成分も変わってくる」と高橋さんはいいました。
 たとえば、乳量を多くするため発酵飼料を牛に与えると乳の中に「酪酸」が入って、チーズの熟成中にガス化して異常な膨張をしチーズが中で割れて空洞ができるというチーズの種類によっては品質に関わる問題が発生します。そのため、チーズをつくるために必要な牛乳を得ようとすればコストがかさむ。それだけチーズは奥が深く、余裕が出来なければ質の良いチーズを出し続けることはできないと言います。
 高橋さんが現在作っているチーズの原料となる牛乳も、地元や近隣の酪農家で与えている餌にこだわっている農家から取り寄せています。以前はいろいろな規制もありましたが、最近では規制が緩和されて地域外からも手に入れられるようになったとのこと。
 現在では月に2~3回程度1回に20個程度作れる量を生産しているとのことです。

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HARUの鹿肉のハンバーグ バターライスと、スープ、サラダ付。
ランチメニューの中には、パスタやカレー、チーズフォンデュなどもある。

「森のキッチンHARU」さんは今季の営業は10月末まで。
また来春に営業をします。
場所は道の駅ピンネシリの隣です。
 
高橋さんご協力ありがとうございました。
(篠田)
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2017-10-17

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