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なまこでんぷんづくり 56年前の産業を未来につなぐ

 
皆さんはなまこをご存知ですか?
 
あの海にいる、酢の物にするとおいしいぬめぬめしたちょっと気持ちの悪い生物ーーのことではありません。
 
北海道地方の伝統的な食文化のひとつで、じゃがいもを始めとしたイモ類のデンプンが粉になる前の塊のことです。
なまこは漢字で書くと、「生粉」。乾燥していない生のデンプンという意味です。
 
かつて、中頓別町には約40か所ものなまこづくりの工場が点在していたそうで、
なまこが主食として食べられた時期もあったようです。
 
このなまこづくりが、中頓別町で約4年ぶりに実施され、私たち地域おこし協力隊もお手伝いに行ってきました。
 
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なまこづくり実施研修会が行われたのは、藤井地区
藤井地区には昭和36年頃まで、なまこづくりの工場があったそうです。
 
 

9月23日に行われた今回の研修会は、なまこ作りを学び、継承したいという貝塚加世さん(写真左)が地域の方に呼びかけ、実現しました。
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なまこ作りを教えて下さったのは、なまこづくりの工場で10年近くも働いていらっしゃった、岩田利雄さん(写真右・じんぺい窯の取材はこちら)、高橋清さん(写真左)。
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笑顔が眩しい、とても紳士で素敵なお二人です!
 

 
それではさっそく、なまこづくりの工程を順を追って見ていきましょう。
 
 
 
①じゃがいもを潰す
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事前に洗っておいたイモを、ロールという機械で潰していきます。
 
今回使ったじゃがいもの総量は、350kg~400kgほど!
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ちなみにこのたくさんのじゃがいもは町内有志の方々によって提供されたもので、大きさが小さい“くずいも”が使われています。
 
 
 
②裏ごし
 
潰した芋を数人でこしていきます。
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ここで出たカスは、家畜の飼料として再利用されます
 
 
 
こした芋を別の容器に移し替え、もう一度こしていきます。
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少しやさしい手つきで撫でてあげると、まるでふわふわとしたモイスチャーソープのような感触!
 
 
 
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こしたデンプンを別の容器に移して、研修会の作業はここで終わり。
ここから後の作業は残念ながら同席できませんでしたが、簡単に手順をご紹介します。
 
 
 
③24時間置いて、デンプンを沈殿させる
 
 
④撹拌
 
樽に入れて撹拌し、水を抜いて不純物を取り除きます。
1日置いて、さらに撹拌。
 
 

⑤完成!
 
 
これらの工程をすべて行うと、4~5日程度かかるとのこと。
 
じゃがいもからデンプンとして選り分けられるのは、総量のわずか1割程度。
大変な作業ですが、こうして選り分けた白い質の良いデンプンを冷凍させると、いくらでも保存がきくそうです。
 
今回使われたじゃがいもは、“さやあかね”の割合が大きかったとのことで、デンプン含有量が高く、通常より多くデンプンが採取できたようです。
 
 
 
 
 
研修会後には、なまこの試食会が行われました。
 
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この豆腐のような形状のものが、なまこです!
 

なまこの食べ方は、デンプンを団子状にしたデンプン団子やそれにイモを加えたイモ団子もありますが、
今回はなまこを炭で焼き、外側の表面を剥いて食べるオーソドックスな試食方法に。
 

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砂糖や蜂蜜、チョコ、シナモン等をつけて食べると、どこか懐かしくなるような素朴でやさしい味わいが広がります。
 
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発起人の貝塚さんは、「この伝統を若い人たちで受け継いでいきたい」と話してらっしゃいました。
 
自然の恵みを無駄なく使う生活の知恵が息づく、なまこづくり。
ぜひ私たちで後世に伝えていきたいですね。
 
 
 ◆おまけ 藤井地区でのなまこづくり産業にまつわるよもやま話
 
 
藤井地区の工場は、大正時代から昭和36年まで存在したそうです。
昭和36年以降は、町の産業は酪農に移り変わっていきました。
立地していたのは川岸のあたり。昔は川から水を汲んで裏ごし作業をしていたそうです。
岩田さんが働いていらっしゃったころの従業員数は6名ほどとのことでした。
 
なまこは乾燥させ、布袋に入れて、45kg(12貫)で販売していたとのこと。個人で売買する人もいれば、農協と取引していた人もいて、商人が小樽まで輸送し販売していたこともあったそうです。
なまこの取引額は、当時の金額で45kg2,500円が相場で、良いときは3,000円ほどで取引されました。
 
工場は毎年、9月20日頃~11月の3か月程度稼働していました。
2交代制で、朝6時~夜0時、夜0時~朝6時までの24時間体制で、休みはなかったとのこと。
大変な仕事でしたが、賃金は当時の金額で日当450円。猟師の仕事が日当たり550円とのことで、危険なときには仕事ができないということを考えると、当時としてはかなりわりの良い仕事だったようです。
 
 
今回、取材に応じて貴重なお話をしてくださった岩田さん・高橋さん・貝塚さん。
そして協力隊員にやさしく声をかけてくださった地域の皆様、本当にありがとうございました!
 
こうした中頓別にまつわる伝統的な産業・食etc...にまつわるお話がありましたら、ぜひお知らせください!
地域おこし協力隊がインタビューに伺います!



(加藤)
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北緯45度の町、中頓別町で活動する地域おこし協力隊の発信ブログ。地域の情報や日頃の活動などについて紹介しています。

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